姑が嫌いでたまらない、そんなあなたへ送るメッセージ

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姑が嫌いでたまらない、そんなあなたへ送るメッセージ

お姑さんのことが嫌い、という悩みの解決策では『それでも愛する旦那様のお母さんなんだから我慢しましょう』とか『年長者を立てましょう』『嫌いなところには目を向けずいいところを探しましょう』『お互いにもっと歩み寄りましょう』逆に『距離を置きましょう』などなどいろいろありますね。

いつの世も嫁、姑の軋轢は健在ですからね。ここではそれらとはちょっと違うアプローチで意見を述べてみます。

と、その前に『姑』は女に古い、『嫁』は女に家、という漢字はなんとも男目線だなと思うのは私だけでしょうか。『姑』は訓読みで『しばらく』とも読みますがこれも女になって久しいという意味でしょうがそれなら『舅』は男が古いでいいのになーと。また『姑息』は姑息な手段などと使われますがこれ、卑怯なと勘違いしていませんか?

一時の間に合わせとかその場しのぎという意味であって卑怯とかケチとかの意味とは本来違うのですがその場しのぎで卑怯ととらえ、こちらでの使われ方の方が多くなってしまったのは残念に思うところです。(『小癪(こしゃく)』と混同している場合もあり)まあそう思うのも男の子が二人いていずれ姑の立場になる身だからでしょうね。



 

姑が嫌いでたまらない、
そんなあなたへ送るメッセージ

 

嫌いなままではいけませんか?>


人は皆子供の頃、親や周りの大人から友達や兄弟と『仲良くしなさい』と言われて育ちます。そのくせ大人はみんなと仲良くできているわけではありません。まだ小さな純真な子どもには親は絶対的な存在であり親が言うことは正しいことだと考えるので『仲良くするのは良いこと、喧嘩するのは悪いこと』と価値観が刷り込まれます。

そしてその子供の頃の価値観を意識している、していないに関わらず引きずっている人が大勢います。本当に仲良くするのは良いことなのでしょうか?嫌いなままではいけないのでしょうか?

自分のことでさえ、普段は大好きな子供や夫のことでさえ嫌いだと思ってしまうこともたまにあります。世代や環境、なにもかも違う姑を嫌うのはごく自然なことと受け止めることもできるのではないでしょうか?

 

嫌いなのはどうして?


それでも嫌いなままではいけない、という思いがあるのならその嫌いな理由を考えてみてください。すぐに嫌味を言う、夫の肩ばかり持つ、センスがない、食事がまずい、デリカシーがない、孫への接し方がいや、などなどいろいろとあるかもしれませんね。それらは全部受け入れられないことばかりなのでしょうか?自分とは違う人として受け入れられないまでも受け止めることはできないものなのでしょうか?

 

距離を置いても嫌いでいることに変わりはない


自分が我慢していたらそれがストレスとなり知らない間に体に不調をきたすことがあるかもしれません。一旦嫌いと思ったところに目を向けないようにするのは難しいですし(逆に膨らんでしまいます)、距離を置いたところで嫌いであるという事実に変わりはありません。

 

嫌いでいることにメリットはありませんか?


そこで考えてみてほしいのがその嫌いであるところの裏側にあるメリットです。そんなものはない、と思いますよね。でも良く考えてみてください、必ず見つかります。

(例)私の場合です。

夫の実家に帰ると義母は私にすぐモノをいいつける、あれやって、これやってと。最初の頃は少しはゆっくりさせてくれても、という不満がありました。

メリット もし義母が何も用を言わなければ私は何をしていいかわからなかったかもしれない、ゆっくりお茶でも飲んでといわれても逆に落ち着かなかったかもしれない、何も言われなければ逆にまだお客さん扱い、と不満に思ったかもしれない。ということから私にも役割がある、というメリットがありました。

このようにメリットを探せば不思議と不満は消えていき、まあいいか!という心境になりました。メリットが出れば出る程不満は消えていきます。数年後、義母はお嬢様育ちで体も弱く結婚するまで使用人がいた家で育ったことが判明。結婚した舅は何でもやってくれる人だった。

亡き後自分でやりたいのにやれないもどかしさ、人に頼んでも思った通りにやってくれないもどかしさが常にあり、その点私は思い通りにやってくれることに甘えいつも頼んでいた、ありがたかったと言ってくれました。

 

姑の立場にいつかなるかもしれません


夫婦や親子の間柄もそうですが『人は自分の鏡である』とよく言われます。将来、姑の立場になった時にお嫁さんに同じように嫌われるかもしれません。またそんな将来ではなくもっと身近なところであなたがお姑さんに対して抱いている感情をあなたに対して向けている人がいるかもしれませんよ、子供とか・・・この手の話は不思議とよく耳にします。

 

人は変えられないというけれど


『人は変えられない、変えられるのは自分だけ』よく言われる言葉です。そしてそのとおりだと思っている人は多いのではないでしょうか?しかし、私は人を変えられるときもあると思っています。それは、相手には何も問題がないのだとわかったとき、相手は何も変わる必要はないと心底思えた時、自分がそれに気づいたとき。変わらなくていい、何も問題がない、と思えたときに相手が変わる。逆説的ですね。

 

結局のところ捉え方次第


結局のところ、すべて自分の捉え方次第です。例えばダイエットを頑張ってしている人が食べすぎて逆に少し太ってしまったと気にしているとします。久々に会った義母に『少し太ったんじゃない?』といわれたらムッとして嫌味と捉えることもできますし、逆に『そうなんですよー、ダイエットしてるのに食べるの大好きで太っちゃって・・でもお義母さんよく太ったってわかりましたね、すごーい』と事実として捉えることもできます。

後者の場合、お姑さんは『そうなの、あなたの美味しそうに食べてるところを見るのが好きなのよ』と言ってくれるかもしれないのです。

 

以上、お姑さんが嫌いな人へアドバイス、ではなく私見を述べてみました。

事実か嫌味か、好きか嫌いか、良いか悪いか、正しいか間違いか、常識か非常識か・・・結局はあなたの捉え方次第です。地方や国によって正しさも常識も違いますしね、嫌いでもいいじゃないですか。我慢しないで言いたいことを言ってもいい、嫌われてもいい、どちらでもいい、という考え方になれたら楽ですよ。

 

まとめ

姑が嫌いでたまらない、そんなあなたへ送るメッセージ

・嫌いなままではいけませんか?
・嫌いなのはどうして?
・距離を置いても嫌いでいることに変わりはない
・嫌いでいることにメリットはありませんか?
・姑の立場にいつかなるかもしれません
・人は変えられないというけれど
・結局のところ捉え方次第



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